
松本徹三(Tetsuzo MaTsumoto)-小中学生に携帯電話を持たせてはいけないのか?
小中学生に携帯電話を持たせてはいけないのか?
出会い系サイトなどを利用した犯罪が増加しており、小中学生が犠牲となる痛ましい事件が頻発しています。「学校裏サイト」での誹謗中傷に耐えかねての自殺も多くなっています。そうでなくとも、子供達が四六時中ケータイの画面とにらめっこをして、夜遅くまでメールのやり取りをしているのを見れば、親としては、「こんなことでよいのか」と少し心配にもなります。ましてや、そのメールの相手の何人かが、どこの誰とも分からない相手だとなると、「これは何とかしなければならない」という気持になるのは当然です。
しかし、だからといって、単純に「小中学生にケータイを持たせなければよい」という結論に走り、「これを法制化すればよい」と考えるのは、あまりに短絡的というか、安易に過ぎるのではないでしょうか? これは、「問題に正面から向き合わず、逃げている」のに等しいのではないでしょうか? 教育というものを真剣に考えるなら、これを契機に考えなければならないことが、数多くあるように思います。むしろ、今こそ、ケータイにのめりこんでいく子供達の現状を直視し、これをバネにして多くの問題に前向きに取り組んでいくことこそが、必要なのではないかと思います。
「成る程、ケータイが『安心、安全』に役立っているところもあるようだ。それなら、通話と位置認識だけが出来るケータイを持たせればよい。通話相手も登録した何人かに絞るべきだ」という議論もあるようです。これは「完全な思考停止」から比べれば、「一歩前進」といえないこともないのですが、「メールは悪」と決め付け、「ウェブは、良いものと悪いものがあるのだろうが、区別が面倒なので、一括して禁じてしまおう」というわけですから、「思考放棄」に近いものです。
仮に、今、法律によって小中学生にケータイを持たせないということにしても、酒やタバコではないのですから、高校生になってまでこれを禁じることは出来ないでしょう。それならば、「高校生なら学校裏サイトの誹謗中傷で自殺してもよい」ということなのでしょうか? 四六時中ケータイの画面とにらめっこしているのがよくないのなら、高校生になれば、もっとそうなのではないでしょうか?
小中学生時代に無理やりに無菌室に入れられていた子供達は、高校生になってから、少し遅れて、結局は同じラーニングカーブをたどっていくことになるでしょう。小中学生時代なら、いろいろな問題について素直に大人達のアドバイスを受け入れたかもしれない子供達も、高校生になればもっと反抗的になっており、こんなアドバイスには耳を傾けないでしょうから、結局は「独自のやり方」でケータイにのめりこんでいくでしょう。
考えなければならないことがあまりに多くあるので、何から論じ始めればよいのか悩みますが、まずは本質的な問題から入りましょう。人間は生まれつき「闘争心」というものを持っています。古来戦争の種が尽きないのは、「支配欲」や「経済的な必要性」もさることながら、「人間のもって生まれた闘争心」によるところも少なくはないと思います。古代のギリシャ人は、それ故に、「戦争を避けながら、この闘争心を満足させる」ために、オリンピック競技のようなものを考案したのかもしれません。現代人も、老若男女の別なく、スポーツによってこの「闘争心」を満足させているのかもしれません。
子供達に対して、「スポーツは、相手に対する敵対心を生む可能性があるし、怪我をすることが多くて危ないから、禁止する」などという人はどこにもいないでしょうし、むしろ、スポーツによって、子供達の「闘争心」を良い方向に向けようという試みが、数多くなされているように思えます。決して「闘争心」自体を否定しようなどという、無理なことは試みられてはいないのです。
今、「いじめ」の問題が大きな問題になっていますが、人の悪口を言ったり、弱いものをいじめたり、異質のものを排除しようとしたりするのは、残念ながら「人間が生まれつき持っている性格」の一つです。子供の世界では、これが抑制されることなく、ストレートに出てくる傾向がありますし、集団になるとこの傾向が助長されます。これは大変難しい問題であり、教育現場が真剣に取り組まなければならない「人間教育上の大きな課題」の一つです。
子供達の間の「ケータイメール」が、これを更に助長しているというのも事実でしょうが、もし子供達に「いじめ」をやめさせたいのなら、「人間の本質」や「子供の集団というものの本質」にまで迫って、その根を絶つことこそが考えられるべきであり、間違っても「ケータイを禁止すれば、少しは良くなるだろう」などと安易に考えるべきではありません。それどころか、真の教育者なら、むしろ、「子供達の間に広がっているケータイメールを利用して、いじめの萌芽を発見し、これを正しい方向にガイドできないか?」というようなことをすら、この際考えてみて然るべきです。
「いじめ」の問題から離れ、子供の世界におけるメールの功罪を全般的に考えて見ると、更に考えるべきことがたくさん出てきます。「ケータイ」と「メール」は、今や多くの人々の生活の一部になりきっていますから、教育現場もこの事実から決して逃げてはならないと思います。
かつての寺子屋教育では「読み」「書き」「そろばん」が三大教科でしたが、それは社会で生きていくために、或いは仕事をしていく上で、この三つについてのスキルを習得しておくことが必要と判断されたからでしょう。現在では「国語」「算数」「社会」「理科」それに「英語」というところなのでしょうが、「実社会に出てから役に立つ」という観点から言えば、「コミュニケーション」「情報取得(情報検索)」「プレゼンテーション」「ネゴシエーション・ディベート」の四つがもっと重視されてしかるべきです。
教育に従事している人に言わせれば、「そういうものは、特に取り立てて切り出さなくても、日常の授業を通じて教えている」ということなのでしょうが、私は決してちゃんと出来ているとは思えません。特に、「情報取得」や「プレゼンテーション」の能力の涵養には、パソコンやインターネットについての教育は不可欠なのに、その実態はお寒い限りです。
私が興味があるのは、今「小中学生にケータイを持たせるな」という議論をしている方々が、パソコンやインターネットについてはどういう考えをもっておられるのだろうかということです。おそらくは、「パソコンは、どうせ子供は自分では持っていないのだから、管理された教育が可能で、弊害が生じる余地はない」というお考えなのだと思いますが、家にある親のパソコンを自由に使える子供達は結構多く、家に友達をよんで、こっそりアダルトサイトにアクセスしているなどというケースもよくあります。画面上で「あなたは18歳以上ですか?」ときかれて「はい」と答えればよいだけで、フィルタリングも何もないのですから、好き勝手に何でも出来ます。
ケータイは完全にパーソナライズされた端末であり、パソコンとは同列に論じられないことは事実です。しかし、そのことは、「ケータイの方が、利用者ごとに管理するのが容易である」ということも意味します。従って、教育上の観点から、ケータイを「悪いツール」ではなく「良いツール」にすることは、技術的に十分可能だと思うのですが、そのことは十分に議論されていません。
現在のケータイは「持ち運び自由な簡易パソコン」といってもよいほどの存在になりつつありますから、「小中学生に携帯を持たせてもよいかどうか」の議論は、「小中学生に簡易パソコンを持たせてもよいかどうか」という議論と同じであると、私は思います。従って、一方では小中学校におけるパソコン(インターネット)教育の要否を議論しながら、ケータイの問題とそれを結びつけないのは、方手落ちのように思えます。
正直に言うなら、私だって、孫達には、あまりケータイの画面とにらめっこばかりしていてほしくはありません。(更に言うなら、携帯ゲームなんかも持ってほしくはありません。)出来れば、私達が子供だったころのように、遅くまで友達と一緒にその辺を走り回って、泥だらけになって帰ってきてほしいのです。しかし、時代が変われば環境も変わり、身に付けなければならないスキルの種類も変わってきます。中国やインドをはじめとして、発展途上国の子供達が、小さい時からインターネットを使いこなす能力を身につけているのを見るにつけても、孫達には、やはり彼等には負けてほしくはありません。
ここで、もう一度メールの問題に話を戻してみたいと思います。
子供達は、殆ど異口同音に「面と向かっては言えないことも、メールでは言いやすい」ということを言っています。これをもって、「子供達がメールに逃避して、面と向かってものが言えなくなっては大変だ」と憂慮する人達について、私は一面賛成、一面反対です。「相手の顔を見て話す」、更に言うなら、「相手の目をまっすぐに見て話す」ことの重要性は、いつの時代でも第一義に考えなければならないのは勿論ですが、「メール」という、効率面でも心理面でも異なった側面を持つ「新しいコミュニケーションの形式」の重要性にも、あらためて皆さんの注意を喚起したいからです。
ビジネスの世界では、もともと「面談」と「書信」がコミュニケーションの手段でしたが、近年では「電話」と「メール」がこの相当部分を代替するにいたっています。「電話」は「面談」よりはタイミングの合わせ方が容易ですが、それでもタイミングがなかなか合わないという問題を抱えています。これに対し、「メール」は、「電話」と同じような「形式張らない気楽さ」を持ち、それ故にスピードを重視するビジネスに向いているだけでなく、「送受信のタイミングを問わない」「1対Nのコミュニケーションが容易」「コミュニケーションから曖昧さを排除できる」「要点が整理できる」「記録が残る(後々『言った、言わない』の問題を生じることを回避できる)」等の利点があります。昔寺子屋で「読み書き」を教えたのなら、今小学校で「メール」の書き方やマナーを教えたとしても、決しておかしいことではありません。
現在、子供達は、「メールでいつも友達とつながっていないと不安」「少しでも相手の返事が遅いと、無視されているのではないかと不安になる」「こちらからもすぐに返事をしないと、無視されたと誤解される恐れがあるので、それがプレッシャーになる」などという問題を抱えているといわれています。この問題を解決するのは、「とりあえずメールを使わせない」等という後ろ向きのものではなく、「メールの意義やマナーをきちんと教える」という前向きのものであるべきです。
ちなみに、俗に「すぐレス」と呼ばれている、この問題の存在を知った時、私には奇妙な感慨があったことを、ご披露しておきたいと思います。
私は若い時商社マンで、駐在先のソウルやシカゴで、本社の関連部署を一人で代表する仕事をしていました。いろいろな問題で客先から答をせっつかれることが多いのですが、そういう時頼りになるのは本社からのテレックスによる返事だけで、これがないとどうにもなりません。にもかかわらず、何日待っても本社からは「ナシの礫」で、ウンともスンとも言ってこないことが多いのです。国際電話は高くつくのでめったなことでは使ってはいけないことになっていたのですが、辛抱たまらず、本社の担当者を電話で呼び出し、「あのねえ、もし道で出会って、こちらから『最近どうですか?』とか何とかきいたら、少なくともあなたも何か答えるでしょう? プイと横を向いて何も答えないというようなことはありませんよね。それなのに、テレックスになると、何でそういうことをするのですか? こちらの身にもなって、一言ぐらいは何とか言ってくださいよ」と文句をつけたものです。「もし、みんなが子供の時から『すぐレス』のマナーを身に付けていたら、あんなストレスは感じなくてもよかったのになあ」と、昔を思い出し、私は今更ながらに考えた次第です。
そろそろ結論を言わせてください。
1)「子供に携帯電話を持たせない」ことを制度化することには賛成できない。
2)むしろ、積極的に子供にケータイの正しい使い方を教え、これをインターネット教育の一環とすべきである。
3)有害サイトに対する規制とフィルタリングは徹底する。
4)学校裏サイトに監視の目を光らせ、これを問題の早期発見に役立たせるべきである。
これが私の現時点での提案です。
ついでに、最近話題になっている小学校での英語教育についても一言。
これに関連して、「教員の不足に頭を悩ませている」という新聞記事を読んだことがありますが、これは馬鹿げたことだと思います。生徒達にはビデオで学ばせ、先生はそれを生徒達と一緒に見ながら、いろいろなアドバイスをしていけばよいだけのことです。中国などは日本以上に教員不足でしょうが、このやり方で、平気でやっています。「外国人に通じない英語しか話せない先生に生徒に教えさす」のは間違いですが、それ以前に、「生徒は先生からしか学べない」と決め付けている固定観念の方が、どうしようもないと思います。プロが作ったビデオの方が、子供達にははるかに楽しいでしょうし、実効もあるでしょう。
更に言うなら、中学生ぐらいになれば、インターネットで世界中の子供達と交信させた方が、はるかに生徒達に対する刺激になるし、英語とインターネット・リテラシーの両方を同時に学ばせる教育効果も得られるしょう。教育問題に関連して「ケータイ」の問題が取り上げられたことを好機として、今こそ、議論を「コミュニケーション教育」「インターネット教育」の問題にまで広げていくべきです。
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わたしも概ね同じ意見を持っていますが、『有害サイトの規制』と『フィルタリングの徹底』もあえて緩くするべきだと思うのです。『インターネットは怖いところ』というのは『都会は怖いところ』と同程度であり、『社会に生きている以上、犯罪に出会ってしまう』と認識して教育に当たるべきだと思うのです。
子供がケータイというパーソナルパーツを使いこなす前にインターネットというちょっとだけオープンな環境での教育を受けられる環境も必要だと思います。学校内だけのクローズドな疑似インターネットを構築したり積極的なIT教育が組み込まれるべきかと思いますが、財政難では無理があるのかもしれませせん。
理科離れを防ぎ、未来の技術者を育成する意味でも、IT関係企業で基金を設立したり、設備を補助する体制を提案したりするのはどうですか?