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松本徹三(Tetsuzo MaTsumoto)

 

iPhoneがソフトバンクから発売されることになり、多くの方々の関心を呼んでいます。ソフトバンクとしては、全力をあげてiPhoneを販売し、その上に乗るソフトを拡大強化して、iPhoneを一層価値のある商品にするべく努力していくのは勿論です。しかし、私は、このブログでも他の場所でも、iPhoneについてのコメントはいたしません。ソフトバンクとしての一大戦略商品ですから、全てのコメントは、孫社長自らか、或いは広報部から出るべきだからです。

 

但し、これに関連して、「インターネットの世界」と「通信の世界」の関係、「端末機メーカー」と「通信キャリアー」の関係や、「オープン」と「クローズ」の比較、「SIMロック」の功罪などについての議論も、一段と活発になっているようですから、そのことについては、一般論として一言コメントしてみたいという気持になりました。というのも、こういう問題は、常にサプライ側の観点から議論されており、ユーザーの観点から見ると実は非常に簡単な図式で全てが動いているにもかかわらず、それに言及されることがあまりないように思えるからです。

 

ユーザーはその商品やサービスが自分の為に具現してくれる「価値」と、そのために使わなければならない「お金」のバランスを考えながら、自分が買うものを決めます。(勿論、「みんなが買っているから」とか、「店頭で熱心に薦められたから」とかの理由で、勘違いして買ってしまうケースもあるのですが、そのことについてはここではあまり深入りしないことにします。)そして、携帯端末の場合は、その「価値」は「端末機」そのもの、その上で使える「サービス・コンテンツ」、端末機とサービス・コンテンツを一体として機能させる「通信ネットワーク」の三つのコンビネーションによってもたらされます。

 

商品やサービスの供給者は、この全てを自分一人で供給したいのは山々でしょうが、多くの場合はそうもいかないので、他の会社から必要なものを買ったり、他の会社と提携したりして、トータルの価値を具現させようとします。従って、ユーザーがその「価値」に対して支払う「お金」も、その価値を具現することに関与した人達の間で「山分け」されるのは当然のことです。その「山分け」のやり方を巡って、関係する会社の中でいろいろ交渉が行われ、いろいろな形の契約がなされるわけですが、自分の会社に長期的にも短期的にも何の価値ももたらさないような契約は誰もするわけはありませんから、その商品やサービスが売れる限りは、関係者全員は何らかの「儲け」を得る訳です。但し、その「儲け」の大小は力関係によって決まりますから、この交渉は当然大変厳しいものになります。

 

「力関係」に関連しては、ジャーナリズムの世界では「誰がヘゲモニーを握るか」が、常に最大の関心事であるかのようです。ジャーナリストだけではなく、政治家や企業家も皆そうかもしれません。古来、「誰が戦争に勝ったか」「誰が政治経済を支配することになったか」が、常に歴史の記述の中心になってきましたし、人々の興味もそこに集中されてきました。しかし、よく考えてみると、庶民の生活というものは、実はそんなことにはあまり関係なしに、いつの時代も連綿と続けられてきたわけです。

 

例えば、ユーザーがある商品の価値を認めてそれを買った時、誰が勝者だったのかと言われても、にわかに答えは出ません。その商品にはブランドがあり、誰かが最終商品の設計をし、誰かが鍵となる部品を供給し、誰かが必須特許をライセンスし、誰かが最終組み立てをし、誰かが性能を保証しているわけですが、この中で、誰が誰を支配し、ヘゲモニーを握っているかといえば、必ずしもはっきりはしません。組み立てメーカーは、揉み手をしながら売込みをしてくる部品メーカーの中から1社を選んで、商売をくれてやったと考えているかもしれませんが、実はその部品がなければ、ユーザーに認めてもらえるような商品価値が出せないというケースも多々あります。「ブランドなどはどうでもよい」というケースもありますが、逆に「ブランドこそがその商品の生命線である」というケースも数多くあります。

 

市場によって、「誰がヘゲモニーを握るか」も変わってきます。携帯電話の場合は、日本では通信キャリアーが全ての中心にありますが、欧州では端末機メーカーであるノキアが圧倒的な力を持っています。欧州を中心としたGSMの世界では、もともと携帯電話機は、メーカーがそれぞれの関係する流通機構を通して売っており、通信キャリアーはネットワークを選択する機能を持ったSIMカードというものだけを売っていました。通信キャリアーは、「端末機の企画をしたり、宣伝をしたり、在庫管理をしたりする面倒」から逃れて、比較的気楽な商売をしていたのですが、これが祟って、気がついた時には、ここで苦労を積み重ねてきたノキアなどの端末メーカーに、すっかりヘゲモニーを握られてしまっていたということです。この力を背景に、ノキアは、サービスやコンテンツの分野でも自社の支配力を確立しようとしています。

 

ノキアが長年かけて築きあげてきた支配力を、たった一つの商品で一気に確立しそうな勢いを見せているのがアップルです。これまで携帯電話の世界では全く何の経験も実績もなかったアップルが、世界中の通信キャリアーに自社の主張するビジネスモデルを飲ませることが出来たのは、彼等が心血を注いで開発したiPhoneが、多くの人達の心を捉え、「当面は誰もこれらの人達に心変わりをさせるような商品を売り出せそうにない」という状況をつくったからに他なりません。即ち、ヘゲモニーは本来はユーザーが握っているのであり、「他社に真似の出来ないような商品やサービスでユーザーの心を捉えた会社」に、自然にこのヘゲモニーは移転するということです。

 

「検索」というサービスで圧倒的な力を築き、それ故に膨大な広告収入を手中にしたグーグルが、「成長を続ける携帯電話の世界でもヘゲモニーを握る」ことに興味を持ったのは十分理解できます。それ故にこそ、彼等は価値を生み出す残り二つのファクター、「端末機」と「ネットワーク」をどうしようかと考えたようです。結果として、彼等は自ら多額の資金を拠出してアンドロイドというプラットフォームを開発し、多くの端末機メーカーが自由にこれを使えるようにする一方、新たに使えるようになった周波数を入札で落として、自ら通信オペレーターになろうとする構えを見せました。しかし、前者は着々と進んでいるようですが、後者については、ベライゾン等の既存の通信事業者が「ネットワークをオープンにして、その上でサービスやコンテンツを自由に流通させる」ことを約束したことだけで満足して、彼等に大差をつけられるような安い価格でしか応札しませんでした。

 

グーグルがアップルのような端末機メーカーになろうとしたり、膨大な資金を固定しなければならない通信事業にのめりこんでいったりすることを懸念していた投資家達は、これでさぞかしホッとしたことでしょうが、考えてみれば、これはグーグルとしては当然のことだったと思われます。グーグルはユーザー価値の三要素である「端末機」「サービス・コンテンツ」「ネットワーク」の全てを自らの支配下におくことは考えず、自らが得意とし、且つ一番効率が良いと思われる「サービス・コンテンツ」に集中し、「但し、他の二つの要素がその阻害要因にならないようにする」だけの手を打ったのでしょう。「自らネットワークを運営して儲ける必要はなく、ネットワークは中立であってくれさえすればよい。」「自ら端末機を作って儲ける必要はなく、多くの端末機メーカーが自分達のサービスをサポートする安価な端末機をつくってくれればよい。」それがグーグルの考えであったに違いありません。

 

私は現在、世界中の携帯通信事業者が結集しているGSMアソシエーションという団体のボードメンバーになっていますが、そこでは、今や多くの通信事業者が、「携帯電話機が携帯インターネット端末に変身しようとしている現状」を理解しつつあり、それと同時に、自分達の将来に対して相当の危機感を共有し始めています。それは、将来のデータ通信から得られる利益の大きな部分が、ノキアやアップルのような端末機メーカーや、グーグルのようなインターネットサービス会社にとられてしまうのではないかという危機感です。つまり、携帯サービスがユーザーにもたらす「価値」が将来大きくなればなる程、ヘゲモニーは有力な端末機メーカーやインターネットサービス会社に握られて、通信事業者は自らを競争相手と差別化する術を失い、結果として、その取り分が段々と小さくなっていってしまうのではないかと危惧しているわけです。

 

これに対して、日本では、通信事業者がメーカーから端末機を買い取り、自ら流通を取り仕切る立場にあるため、「端末」と「ネットワーク」の二つの分野でのヘゲモニーを握っている上に、ソフトバンクの場合は、元々がインターネットと共に育ってきた会社であって、自らの支配下にあるヤフーが日本ではグーグルをも凌ぐ力を持っているのです。欧米の通信事業者から見れば、これは羨望に値することであり、ソフトバンクのような会社がこれからどのような未来を築いていこうとしているかに、大きな興味を持っているのも当然と言えます。

 

ところが、皮肉なことに、日本では、携帯端末メーカーが海外市場では全く不振である現状に危機感をもった総務省が、この原因が「通信事業者の過大な支配力にある」と勘違いした節があり、携帯端末の企画と流通を巡る現在のビジネス慣行に介入することを考えはじめたかのようです。しかし、私の見るところでは、この介入の中には、妥当なものもありましょうが、どうでもよいもの、却って害があるものも含まれているように思います。元来「規制」というものは、「独占の弊害を防いで、自由で且つ公正な競争を実現する為にどうしても必要な場合にのみ限るべき」ですから、実際の運用には慎重を期してほしいと思っています。

 

総務省が考えていることで私が双手を上げて賛同しているのは、ネットワークレイヤ、プラットフォームレイヤ、サービスレイヤなどを切り分け、その境界線は完全にオープンにするという考え方です。この目標とするところは、「一つのレイヤで独占的な力を持っている企業が、これによって他のレイヤも支配し、その分野で様々な新しいサービスを導入できるだろう人達の自由闊達な参入を妨げるようなことがない様にする」ということだと思います。これに異を唱えるつもりは全くありません。

 

但し、この目標とするところ自体は妥当でも、実際にどうすればよいかということになると色々と難題があります。そもそも、「種々のサービス」を「端末機自体が元々持っている種々の機能」と完全に切り分けてしまうことは不可能で、「サービス」と「端末」はある程度シンクロせざるを得ません(サーバ・クライアントのシステムとしての一体化)。次に、日本に限らず今や全世界で、「端末機の価格と支払条件」は「ネットワークの長期使用」と紐付けされるケースが多く、従って、「端末機」と「ネットワーク」も完全には切り離すことは困難なのです。即ち、ユーザーが享受する価値を具現する為に必要な「端末機」「サービス・コンテンツ」「ネットワーク」の3要素は、建前上は分離出来ても、現実には密接に絡み合っていて、完全な分離独立は不可能だということです。

 

具体的に言えば、総務省が推進しようとしている具体的な施策も、建前だけで単純に物事を進めようとすれば、メリットよりもデメリットの方が多くなってしまう可能性があるということです。例えば、具体的な施策の一つとして考えられている「SIMロックの禁止」、即ち、「ネットワークを特定する機能を持ったSIMカードを端末機に紐つけることの禁止」等は、「長期間同じネットワークを利用する見返りに、安く端末を買いたい」と考えるユーザーにとっては、極めて迷惑な「お節介」になってしまいますし、「通信事業者への割賦債務を踏み倒して、安く手に入れた端末を売り飛ばす」という犯罪を助長することにもなりかねないのです。

 

この様に、具体的な運用においては数々のきめ細かい配慮が必要であるにしても、「各レイヤの境界線を明確且つオープンにして、各レイヤでの自由闊達な競争を実現する」ことが望ましいことには何ら疑問の余地はありません。また、それに対する我々通信事業者の回答も既に出ていると思います。それは、各レイヤにおけるプレゼンスを自ら確立するか、或いは他の企業と密接に提携することによって、各レイヤ間のスムーズなインテグレーションを可能にし、これによってユーザー価値を最大化していく努力をしていくということです。ユーザーは多くの選択肢を保証されますが、結局は最も大きな価値を具現してくれるパッケージを選ぶことになるだろうからです。

 

どんな時代でも、「ユーザーにとって何が一番よいか」を常に考えていけば、国の政策も企業の戦略も誤るということはないと確信しています。

前回のブログを書いた後、この件でいろいろな方々と話す機会がありましたが、「国が小中学生の携帯所持を禁止する」という、「まさか」と思われるような議論が、福田首相を含めた国政の高いレベルで本気で行われていることを知って、正直に言って驚愕を禁じ得ませんでした。

昨日、私は西欧の某国の経済・行政改革大臣とお話をする機会がありました。ソフトバンクをご訪問頂いた位ですから、この人の興味は、日本の先進的なITの活用状況について知ることであり、こちらからお話した幾つかの事例については、相当感心して聞いて頂けましたが、帰り際に、こちらから、「ところで、日本では最近、子供が悪質なモバイルインターネットサイトにアクセスして犯罪に巻き込まれるケースが頻発している為、『子供に携帯電話機を持たせない』という規制を行うことが今議論されている。それについてどう思われますか?」と聞いてみたところ、この人は目を丸くして、"That's crazy"と言っていました。crazyを日本語に直訳すれば、「気違いじみている」ということですから、一国の大臣の発言としては、相当強い驚きの表現といってよいでしょう。

「全てのものは危険な側面を持っている。その危険を回避する方法を身に付けさせるのが教育だ」と、彼は強調していましたし、携帯電話については、「私にも小学生の息子がいるが、いつも私にメールを送ってくる。うれしいし、『もうそういうことが出来るんだ』と誇らしい気持にもなる」と言っていました。日本人、外国人を問わず、庶民の日常から隔離されてしまっている人を除けば、これが多くの人の考えの最大公約数に思えてなりません。

携帯電話機は、今や日本で1億人に近い人たちが使っている一種の「生活必需品」です。また、多くの人達にとって、メールは今や電話以上に身近で必要不可欠なものです。六十歳に近くなった私の家内でも、電話ではなかなかつかまりませんが、メールならすぐ返事がきます。親子間の連絡も、「普通はメール」という人達は多いでしょう。その方が安いですし、言いにくいことも簡潔に言えますから・・・。「お前は子供だから携帯は使わせない。メールも駄目」と言われたら、私が子供なら怒り狂います。「子供は靴は履くな」といわれているに等しいからです。

某国の大臣の発言を引用するまでもなく、危険な側面を持った生活必需品があったら、それを安全に使いこなせるようにするのが教育の責務です。それを単純に禁止するというのは、責任の放棄であるとともに、教育行政に対する侮蔑ではないでしょうか?文部科学大臣はなぜ黙っているのでしょうか?

 

 

出会い系サイトなどを利用した犯罪が増加しており、小中学生が犠牲となる痛ましい事件が頻発しています。「学校裏サイト」での誹謗中傷に耐えかねての自殺も多くなっています。そうでなくとも、子供達が四六時中ケータイの画面とにらめっこをして、夜遅くまでメールのやり取りをしているのを見れば、親としては、「こんなことでよいのか」と少し心配にもなります。ましてや、そのメールの相手の何人かが、どこの誰とも分からない相手だとなると、「これは何とかしなければならない」という気持になるのは当然です。

しかし、だからといって、単純に「小中学生にケータイを持たせなければよい」という結論に走り、「これを法制化すればよい」と考えるのは、あまりに短絡的というか、安易に過ぎるのではないでしょうか? これは、「問題に正面から向き合わず、逃げている」のに等しいのではないでしょうか? 教育というものを真剣に考えるなら、これを契機に考えなければならないことが、数多くあるように思います。むしろ、今こそ、ケータイにのめりこんでいく子供達の現状を直視し、これをバネにして多くの問題に前向きに取り組んでいくことこそが、必要なのではないかと思います。

「成る程、ケータイが『安心、安全』に役立っているところもあるようだ。それなら、通話と位置認識だけが出来るケータイを持たせればよい。通話相手も登録した何人かに絞るべきだ」という議論もあるようです。これは「完全な思考停止」から比べれば、「一歩前進」といえないこともないのですが、「メールは悪」と決め付け、「ウェブは、良いものと悪いものがあるのだろうが、区別が面倒なので、一括して禁じてしまおう」というわけですから、「思考放棄」に近いものです。

仮に、今、法律によって小中学生にケータイを持たせないということにしても、酒やタバコではないのですから、高校生になってまでこれを禁じることは出来ないでしょう。それならば、「高校生なら学校裏サイトの誹謗中傷で自殺してもよい」ということなのでしょうか? 四六時中ケータイの画面とにらめっこしているのがよくないのなら、高校生になれば、もっとそうなのではないでしょうか?

小中学生時代に無理やりに無菌室に入れられていた子供達は、高校生になってから、少し遅れて、結局は同じラーニングカーブをたどっていくことになるでしょう。小中学生時代なら、いろいろな問題について素直に大人達のアドバイスを受け入れたかもしれない子供達も、高校生になればもっと反抗的になっており、こんなアドバイスには耳を傾けないでしょうから、結局は「独自のやり方」でケータイにのめりこんでいくでしょう。

考えなければならないことがあまりに多くあるので、何から論じ始めればよいのか悩みますが、まずは本質的な問題から入りましょう。人間は生まれつき「闘争心」というものを持っています。古来戦争の種が尽きないのは、「支配欲」や「経済的な必要性」もさることながら、「人間のもって生まれた闘争心」によるところも少なくはないと思います。古代のギリシャ人は、それ故に、「戦争を避けながら、この闘争心を満足させる」ために、オリンピック競技のようなものを考案したのかもしれません。現代人も、老若男女の別なく、スポーツによってこの「闘争心」を満足させているのかもしれません。

子供達に対して、「スポーツは、相手に対する敵対心を生む可能性があるし、怪我をすることが多くて危ないから、禁止する」などという人はどこにもいないでしょうし、むしろ、スポーツによって、子供達の「闘争心」を良い方向に向けようという試みが、数多くなされているように思えます。決して「闘争心」自体を否定しようなどという、無理なことは試みられてはいないのです。

今、「いじめ」の問題が大きな問題になっていますが、人の悪口を言ったり、弱いものをいじめたり、異質のものを排除しようとしたりするのは、残念ながら「人間が生まれつき持っている性格」の一つです。子供の世界では、これが抑制されることなく、ストレートに出てくる傾向がありますし、集団になるとこの傾向が助長されます。これは大変難しい問題であり、教育現場が真剣に取り組まなければならない「人間教育上の大きな課題」の一つです。

子供達の間の「ケータイメール」が、これを更に助長しているというのも事実でしょうが、もし子供達に「いじめ」をやめさせたいのなら、「人間の本質」や「子供の集団というものの本質」にまで迫って、その根を絶つことこそが考えられるべきであり、間違っても「ケータイを禁止すれば、少しは良くなるだろう」などと安易に考えるべきではありません。それどころか、真の教育者なら、むしろ、「子供達の間に広がっているケータイメールを利用して、いじめの萌芽を発見し、これを正しい方向にガイドできないか?」というようなことをすら、この際考えてみて然るべきです。

「いじめ」の問題から離れ、子供の世界におけるメールの功罪を全般的に考えて見ると、更に考えるべきことがたくさん出てきます。「ケータイ」と「メール」は、今や多くの人々の生活の一部になりきっていますから、教育現場もこの事実から決して逃げてはならないと思います。

かつての寺子屋教育では「読み」「書き」「そろばん」が三大教科でしたが、それは社会で生きていくために、或いは仕事をしていく上で、この三つについてのスキルを習得しておくことが必要と判断されたからでしょう。現在では「国語」「算数」「社会」「理科」それに「英語」というところなのでしょうが、「実社会に出てから役に立つ」という観点から言えば、「コミュニケーション」「情報取得(情報検索)」「プレゼンテーション」「ネゴシエーション・ディベート」の四つがもっと重視されてしかるべきです。

教育に従事している人に言わせれば、「そういうものは、特に取り立てて切り出さなくても、日常の授業を通じて教えている」ということなのでしょうが、私は決してちゃんと出来ているとは思えません。特に、「情報取得」や「プレゼンテーション」の能力の涵養には、パソコンやインターネットについての教育は不可欠なのに、その実態はお寒い限りです。

私が興味があるのは、今「小中学生にケータイを持たせるな」という議論をしている方々が、パソコンやインターネットについてはどういう考えをもっておられるのだろうかということです。おそらくは、「パソコンは、どうせ子供は自分では持っていないのだから、管理された教育が可能で、弊害が生じる余地はない」というお考えなのだと思いますが、家にある親のパソコンを自由に使える子供達は結構多く、家に友達をよんで、こっそりアダルトサイトにアクセスしているなどというケースもよくあります。画面上で「あなたは18歳以上ですか?」ときかれて「はい」と答えればよいだけで、フィルタリングも何もないのですから、好き勝手に何でも出来ます。

ケータイは完全にパーソナライズされた端末であり、パソコンとは同列に論じられないことは事実です。しかし、そのことは、「ケータイの方が、利用者ごとに管理するのが容易である」ということも意味します。従って、教育上の観点から、ケータイを「悪いツール」ではなく「良いツール」にすることは、技術的に十分可能だと思うのですが、そのことは十分に議論されていません。

現在のケータイは「持ち運び自由な簡易パソコン」といってもよいほどの存在になりつつありますから、「小中学生に携帯を持たせてもよいかどうか」の議論は、「小中学生に簡易パソコンを持たせてもよいかどうか」という議論と同じであると、私は思います。従って、一方では小中学校におけるパソコン(インターネット)教育の要否を議論しながら、ケータイの問題とそれを結びつけないのは、方手落ちのように思えます。

正直に言うなら、私だって、孫達には、あまりケータイの画面とにらめっこばかりしていてほしくはありません。(更に言うなら、携帯ゲームなんかも持ってほしくはありません。)出来れば、私達が子供だったころのように、遅くまで友達と一緒にその辺を走り回って、泥だらけになって帰ってきてほしいのです。しかし、時代が変われば環境も変わり、身に付けなければならないスキルの種類も変わってきます。中国やインドをはじめとして、発展途上国の子供達が、小さい時からインターネットを使いこなす能力を身につけているのを見るにつけても、孫達には、やはり彼等には負けてほしくはありません。

ここで、もう一度メールの問題に話を戻してみたいと思います。

子供達は、殆ど異口同音に「面と向かっては言えないことも、メールでは言いやすい」ということを言っています。これをもって、「子供達がメールに逃避して、面と向かってものが言えなくなっては大変だ」と憂慮する人達について、私は一面賛成、一面反対です。「相手の顔を見て話す」、更に言うなら、「相手の目をまっすぐに見て話す」ことの重要性は、いつの時代でも第一義に考えなければならないのは勿論ですが、「メール」という、効率面でも心理面でも異なった側面を持つ「新しいコミュニケーションの形式」の重要性にも、あらためて皆さんの注意を喚起したいからです。

ビジネスの世界では、もともと「面談」と「書信」がコミュニケーションの手段でしたが、近年では「電話」と「メール」がこの相当部分を代替するにいたっています。「電話」は「面談」よりはタイミングの合わせ方が容易ですが、それでもタイミングがなかなか合わないという問題を抱えています。これに対し、「メール」は、「電話」と同じような「形式張らない気楽さ」を持ち、それ故にスピードを重視するビジネスに向いているだけでなく、「送受信のタイミングを問わない」「1対Nのコミュニケーションが容易」「コミュニケーションから曖昧さを排除できる」「要点が整理できる」「記録が残る(後々『言った、言わない』の問題を生じることを回避できる)」等の利点があります。昔寺子屋で「読み書き」を教えたのなら、今小学校で「メール」の書き方やマナーを教えたとしても、決しておかしいことではありません。

現在、子供達は、「メールでいつも友達とつながっていないと不安」「少しでも相手の返事が遅いと、無視されているのではないかと不安になる」「こちらからもすぐに返事をしないと、無視されたと誤解される恐れがあるので、それがプレッシャーになる」などという問題を抱えているといわれています。この問題を解決するのは、「とりあえずメールを使わせない」等という後ろ向きのものではなく、「メールの意義やマナーをきちんと教える」という前向きのものであるべきです。

ちなみに、俗に「すぐレス」と呼ばれている、この問題の存在を知った時、私には奇妙な感慨があったことを、ご披露しておきたいと思います。

私は若い時商社マンで、駐在先のソウルやシカゴで、本社の関連部署を一人で代表する仕事をしていました。いろいろな問題で客先から答をせっつかれることが多いのですが、そういう時頼りになるのは本社からのテレックスによる返事だけで、これがないとどうにもなりません。にもかかわらず、何日待っても本社からは「ナシの礫」で、ウンともスンとも言ってこないことが多いのです。国際電話は高くつくのでめったなことでは使ってはいけないことになっていたのですが、辛抱たまらず、本社の担当者を電話で呼び出し、「あのねえ、もし道で出会って、こちらから『最近どうですか?』とか何とかきいたら、少なくともあなたも何か答えるでしょう? プイと横を向いて何も答えないというようなことはありませんよね。それなのに、テレックスになると、何でそういうことをするのですか? こちらの身にもなって、一言ぐらいは何とか言ってくださいよ」と文句をつけたものです。「もし、みんなが子供の時から『すぐレス』のマナーを身に付けていたら、あんなストレスは感じなくてもよかったのになあ」と、昔を思い出し、私は今更ながらに考えた次第です。

そろそろ結論を言わせてください。

1)「子供に携帯電話を持たせない」ことを制度化することには賛成できない。

2)むしろ、積極的に子供にケータイの正しい使い方を教え、これをインターネット教育の一環とすべきである。

3)有害サイトに対する規制とフィルタリングは徹底する。

4)学校裏サイトに監視の目を光らせ、これを問題の早期発見に役立たせるべきである。

これが私の現時点での提案です。

ついでに、最近話題になっている小学校での英語教育についても一言。


これに関連して、「教員の不足に頭を悩ませている」という新聞記事を読んだことがありますが、これは馬鹿げたことだと思います。生徒達にはビデオで学ばせ、先生はそれを生徒達と一緒に見ながら、いろいろなアドバイスをしていけばよいだけのことです。中国などは日本以上に教員不足でしょうが、このやり方で、平気でやっています。「外国人に通じない英語しか話せない先生に生徒に教えさす」のは間違いですが、それ以前に、「生徒は先生からしか学べない」と決め付けている固定観念の方が、どうしようもないと思います。プロが作ったビデオの方が、子供達にははるかに楽しいでしょうし、実効もあるでしょう。

更に言うなら、中学生ぐらいになれば、インターネットで世界中の子供達と交信させた方が、はるかに生徒達に対する刺激になるし、英語とインターネット・リテラシーの両方を同時に学ばせる教育効果も得られるしょう。教育問題に関連して「ケータイ」の問題が取り上げられたことを好機として、今こそ、議論を「コミュニケーション教育」「インターネット教育」の問題にまで広げていくべきです。

「競争こそが、各企業に『創意と工夫』を促し、結果として、よりよいサービスがより安く顧客に提供される」ということは、あらゆる場で繰り返し言われており、あらためて申し上げるべきことでもありません。「通信事業のように独占体制から出発した分野では、『自由な競争』だけでは駄目で、いろいろに工夫を凝らして、『公正競争』が担保されなければならない」ということも、以前のブログで申し上げました。

しかし、それでは、およそ「競争」と名の付くものは、全てよいことなのかと言えば、必ずしもそうではないと考える人が多いでしょう。世の中には、「意味のない競争」「悪い競争」と考えられるものも、結構あるようです。

一つは過当競争です。

或る会社が、シェアを増やすために目茶な値引きをし、結果として業界全体が消耗戦に入り、値引き合戦を仕掛けた会社を含む何社かが倒産するというケースがあり得ます。この場合、結果として、市場は生き残った数少ない会社の寡占状態になりますが、これらの会社も疲弊している為、サービスの向上などは望むべくもなく、「サービスは低レベルのままで、徐々に価格が上がっていく」という状況を引き起こします。

もう一つは不当競争です。

これは、圧倒的に優位な立場にある会社が、対応力に劣る競合他社を破綻に追いやる目的で、価格を下げたり、過剰なまでのサービスを行ったりするケースです。「既得権を背景に、新規参入者を水際で撃退する」などのやり方も、この範疇に入ります。常に何度か申し上げたように、通信事業のような分野では特にこれが起こりやすいのです。と言うのも、通信サービスでは、「全国カバー」や「規模の利益」といったことがキーワードになりますし、各家庭まで銅線や光ケーブル引き込んだり、あらゆる場所に電波が届くように無線局を建設したりするには、先行して場所を確保していることが圧倒的な強みとなるからです。

このような「悪い競争」は、最終的には利用者に不利益をもたらすのですから、利用者自身が十分賢くならなければならないわけですが、これは実際には困難なことです。また、「過当競争」の方は、事業経営者が賢くなることで或る程度防げますが、「不当競争」の排除には、国が「構造改革」のイニシアティブをとったり、或る程度の規制を行ったりすることが、どうしても必要となります。

「良い競争」と「悪い競争」を見極めることも、そう容易なことではありません。一見良いことのように見えても、悪い結果を呼ぶことは結構多いからです。その一つの例として、私はここで、「電波の入札制(オークション)」のことを論じてみたいと思っています。

結論を先に言えば、私は、一般には「最も透明性が高く公平である」と見られている「電波のオークション」には反対です。

こんなことを言うと、「ソフトバンクは既に多くの周波数を所有する第1種通信事業者だからそんな保守的なことを言うのだろう」と思われる方が居るかもしれませんが、私は一介のテクノロジーベンダーであったクアルコム時代から、一貫して「オークション反対論」を述べています。クアルコムのような米国企業や、米国企業の海外進出を後押しする米国政府は、通常は「オークション万能論者」ですから、このような私の立場は特異なものとみられていましたが、私は論理的に説得して米国本社にも納得してもらいました。

私は、硬派のブロガーとして有名な上武大学の池田信夫先生のフアンで、先生の歯切れの良いブログにはいつも賛同するところが多いのですが、この点については意見を真っ向から異にしています。昨年末にWiMAXの免許についての議論がホットだった時に、先生が所属するICPF主催のフォーラムがあり、私は競合他社の方々とオープンに議論が出来るのを楽しみに喜んでお誘いに応じましたが、何故か他社からは誰も出てこられなかった為、このフォーラムでは、結局は「オークションの賛否」についての議論が多くなりました。池田先生をはじめとして、ご出席の先生方の多くは、「ビューティーコンテストでは、評点の振り分け方等を決めるところから、既にその妥当性に疑義が生じる可能性が強く、公正を期することは事実上困難である。結局、オークションしかない」というご意見だったのですが、私は現実的な見地から異を唱えました。

私が現時点でオークションに反対する根拠は下記4点です。

1)オークションでは、「万一の落選」を恐れなければならないため、どうしても高値応札となり、このことが結果として肝腎の設備投資を遅らせて、サービスの質を落としたり、サービスコストを上昇させたりすることにつながる。(欧州の3Gサービスの充実が遅れているのは明らかにこれに起因している。)

2)これまでの周波数の割り当ては「済んだこと」としてそのままにされ、新しい周波数の割当のみにオークションが適応されるとして、結果として、新しい周波数割当に頼らざるを得ない新規事業者にコストハンディキャップを課することになり、「既得権者の保護」につながる。

3)技術や市場の本質を理解しない企業が「勘違い」によって高値落札し、事業化の途中で断念したり、サービス開始後に破綻したりすると、大きな経済的ロスが生じるのみならず、貴重な周波数が長期間にわたり使われず、その期間中ユーザーは「よりよいサービス」を受ける機会を逸失することになる。

4)高値入札の結果得られた高額の収入は、そのまま国庫に納められ、一般財源として運用される可能性があり、こうなると、国が本来は最も育成していかねばならぬ筈の通信情報産業から、他産業への「資金の移転」が行われる結果になってしまう。

しかし、私も、「オークションという『一つのオプション』を常に念頭において、全てのことを議論する」ということ自体には、諸手を挙げて賛成です。そうすれば、現行のビューティーコンテストも、今後は、より深く、よりオープンな議論を経て行われるようになるでしょうし、「現状で無駄に使われているのではないかと思われる周波数(私は相当あると睨んでいます)」については、現在それを使っている人達に、「仮にこれだけの金を払う必要があったとしても、同じように使い続けますか?」という問い掛けをすることができるようになるからです。

さて、話が「電波の入札制の可否」の方に深入りしてしまいましたが、ここで話の本筋を元に戻し、携帯通信の世界で、現在ソフトバンクが果敢に仕掛けている競争が、「良い競争」なのか「悪い競争」なのかということを、少し論じてみたいと思います。というのも、世の中には、「ソフトバンクはやり過ぎで、このような競争のあり方は業界を疲弊させる」と考えておられる方も結構居るようだからです。勿論、私は「これは良い競争である」と考えているわけですから、その根拠をここでご説明したいと思います。(これは、以前にある方からご質問を受けていたことで、「そのうちにこのブログで説明します」とお約束していたことでもあるので、この機会にこのお約束を果たします。)

先にも申し上げましたように、通信事業というものは、他の分野以上に、どうしても寡占にならざるを得ない性格を持っています。膨大な資金を投じて日本中をカバーするネットワークを構築せねばならず、しかも、常に「施設の場所の確保」という難しい問題を抱えているからです。

米国の携帯通信業界を見ると、お互いにしのぎを削っていた多くの会社が合併と買収を繰り返し、現在はAT&T とVerizon の2強にSprintとT-Mobileが続く4強体制にあり、その中で、4位のT-Mobileが3位のSprintを買収するのではないかという噂が流れています。

欧州では、英国を拠点として主要各国にプレゼンスを拡大しているVodafoneが、Telefonica/O2(西、英)、Telecom Italia(伊)、T-Mobile (独)、Orange(仏)などの各国の強豪に各地で挑んでいるという構図があります。

お隣の韓国は、SKT、KTF、LGTの3社体制ですが、800MHzの黄金周波数を独占しているSKTの力が強くなりすぎないように、国が種々の非対称規制をかけて、下位の2社を支援してきたという歴史があります。最近では2位のKTFが1位のSKTに迫りつつあります。

自国開発のTD-SCDMAという技術にこだわって3Gの導入が遅れた中国では、先行したチャイナモバイルが圧倒的な力を持ち、これに対抗するのは、GSM とCDMAの二つのシステムを並存させねばならないチャイナユニコム1社だけという現状ですが、3Gの導入に合わせて、チャイナモバイル、チャイナテレコム(日本のNTTにあたる会社 チャイナユニコムのCDMA部門を買収予定)、それに新チャイナユニコム(チャイナユニコムのGSM部門をベースに、チャイナテレコムから枝分かれしたチャイナネットコムが合流)の3社体制が、政府主導の下に近々確立される見込みです。

従って、NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクという日本の3強体制も、大体世界の流れにあったものだといえますが、1年半前ごろまでは、まだこの構図は見えていませんでした。

ソフトバンクが買収する前のVodafoneは、「海外に強い」ということ以外にはどこといって特徴もなく、経営は日本の実情に合っておらず、恒常的にシェアを落としていっておりました。恐らくドコモもKDDIも、「このVodafoneのシェアを奪っていくことはさして難しくなく、やがて2強体制が確立されるだろう」という見通しを前提に、自社の経営の将来像を描いていた筈です。

ソフトバンクとイー・アクセスが1.7GHzの周波数を獲得し、新規事業者として名乗りを上げた時点でも、「これらの2社が生き残って成長していくには相当の困難があり、自分達を脅かす存在にはなり得ない」と考えた筈ですし、ソフトバンクが方向転換をしてVodafoneを買収した時にも、「これだけ身分不相応の財務負担を負ってしまっては、拡大戦略推進の余力はないだろう」と考えたことでしょう。ソフトバンクはかつてADSLで業界を震撼させた価格革命を行った会社故、当然「悪夢の再来」の可能性も危惧したでしょうが、「価格戦争になれば、資金余力のない会社は生き残れない」という原則があるので、それ程心配はしていなかったでしょう。

これは、別に彼等が傲岸であったわけではなく、「合理的に考えていくと、当然そういう結論になる」ということだったと思います。政治の世界でもそうであるように、一旦2大政党制の流れが出てくると、この流れに抗して第3の政党が出てきたり、多党分立になったりするのは、現実には相当に難しいことです。

ところが、蓋を開けてみると、ソフトバンクは大健闘。この4月には「12ヶ月連続純増トップ」という快挙を成し遂げ、市場占有率も、僅かずつではありますが、着実に上昇しています。これは一年前には誰も予想しなかったことであり、ドコモもKDDIも、あらためて「ソフトバンク恐るべし」という思いに駆られ、戦略練り直しの必要性を感じつつあるものと思われます。

しかし、一方では、この事実を冷ややかに見る人達もいます。「ホワイトプランなどで思い切った安値を出したのだから、或る程度シェアが取れるのは当然だ。しかし、安値で競争を仕掛けているのだから、ARPU(加入者一人当たりの収入)は低下しており、これでは勝ったことにはならない」というのが、こういう人達の冷ややかな見方の背景です。

「成程、革新的で多彩な商品企画やテレビCMの大成功、量販店ルートの飛躍的な成長など、マーケティング能力はたいしたものだが、これらは、はやがては種の尽きる『戦術的な勝利』にすぎず、ネットワークやプラットフォーム戦略では未だ見るべきものがないので、やがて息切れする」と見ている人達も居るようです。

更には、「現在のような身を削る低価格戦略は、ソフトバンクの市場シェアが未だ小さいからこそ成り立つものであり、所詮は弱者のゲリラ戦に過ぎない」と突き放す人達や、「そもそも長期的に勝ち目のない低価格戦略は、業界全体を疲弊させるだけの自殺行為」などと極言して、相変わらずの「ソフトバンク性悪説」に固執する人達さえ居るようです。しかし、本当にそうなのでしょうか?

私は、かつて、ドコモが圧倒的な強さを誇っていた時に、「パックス・ロマーナ(ローマ支配下の平和)」という言葉をもじって、「パックス・ドコマーナ」とこれを呼び、日本の将来の為に、この「実質的無競争状態」がもたらすものを危惧しました。この為、私は、「CDMAを導入したKDDIに何とかしてドコモを脅かす存在になって欲しい」と念願し、その為に自ら相当の努力もした積もりです。

しかし、その後、孫さんの携帯通信に対する不退転の意欲を見せ付けられ、「日本は『二大政党』ではなく、『三国鼎立』となるだろうし、その方が良い」と感じるようになりました。考えてみると、現在の日本の携帯通信業界は三国志の世界に似ています。圧倒的な力をもった「魏の曹操」に擬せられるドコモ、地の利を生かし、いつの間にか曹操を脅かす存在になった「呉の孫権」に擬せられるKDDIに対し、ソフトバンクは、ほぼゼロから出発し、空き家同然になっていた蜀の地を押さえて「三国鼎立」の形を作った「劉備玄徳」に擬せられます。(尤も、私などは、もしその中で「諸葛孔明」の役割を果たせるのなら嬉しかったでしょうが、現実にはせいぜい「伊籍」とか「馬良」程度です。)

先にも述べましたように、第三のプレーヤーは常に極めて難しい立場に立たされるのですが、もし彼等が頑張れば、「二大政党」よりは「三国鼎立」の方が望ましいのは明らかです。2社間の競争より3社間の競争の方が創意工夫の幅が広がるし、2社が裏で手を結ぶことによって実質独占の弊害が生まれる可能性もなくなるからです。特に、ソフトバンクはインターネットの申し子のような存在ですし、はじめから常にグローバルな視点でものを考える体制になっているので、良くも悪くも生まれながらに通信会社の文化をベースとしているドコモとKDDIの間のみの競争よりは、新しいものが生まれてくる可能性がぐっと広がってきます。

価格競争は、第3位の事業者がはるかに大きな市場占有率を持つ競合他社のシェアを蚕食していく為には、どうしても避けられない戦略の一つです。通信事業においては、「規模の利益」が厳然として存在しますし、他社にない新規サービスを導入しようとしても、顧客ベースが小さいと投資効率が悪すぎますから、先ずはなりふり構わずシェアップを計らざるを得ないのです。当面ARPUが低くなってしまうのも、止むを得ないこととして、当然折込め済みです。一度に「花も団子も」という訳にはいきません。

しかし、「資金力のないソフトバンクが価格競争を仕掛けるのは自殺行為」という見方は、完全に外れました。ソフトバンクは、「原価5万円の携帯端末を1万円で売る。この差額は後々の通信料収入によって回収する」という、これまでのこの業界の常識であった「販売奨励金制度」を否定し、「端末は正当な値段で買ってもらう。但しこれを24ヶ月の割賦にした上、更に通信料の大幅な値下げをするので、ユーザーの初期負担も毎月の負担も、これまでよりは相当安くつくようにする」という、全く新しいビジネスモデルを導入、これを成功裏に定着させました。これによって、「思い切った低価格政策で新規加入者を増しながら、事業者としても増収増益を実現する」という離れ技を成し遂げたのです。

「販売奨励金制度」は、「長期間端末を保有する一般ユーザーが、頻繁に端末を買い換えるユーザーの犠牲になっている」と言ってもよい「一種のいびつな制度」であり、総務省もこれを問題視したほどです。ドコモやKDDIも、長い間、「このようなビジネス慣習は出来れば止めたい」と考えてきたようですが、どうしても止められなかったようです。しかし、ソフトバンクは、鉄の意志でこれを実行しました。もしこれがやれなかったら、これからシェアアップを計っていかなければならないソフトバンクのような会社は、「先行的に発生する巨額の販売奨励金負担」に押しつぶされて、経営が成り立たなかったかもしれません。

「ソフトバンクの低価格政策は、シェアの小さな事業者のみが取りうるゲリラ戦術に過ぎない」という批判は、或る程度当たっているといえます。しかし、それは何も恥じるべきことではありません。第3位の事業者が上位の事業者と同じ戦略や戦術を取ったのでは、勝てるわけはないのです。第3位の事業者だからこそ使える戦術を使うのは当然のことです。

例えば、或る新しい価格政策を導入したとすると、既存の顧客から折角入ってきていた収入が一次的に減少することは大いにありえます。これを、俗に「カニバリ(食人を意味する英語のCannibalizationから来た言葉)による減収」と呼びます。従って、この減収分を補って余りある「新規収入」、即ち「競争相手から奪った顧客からの収入」がある時にのみ、この新しい価格政策は導入可能になるということです。当然のことながら、既に十分なシェアを持っている事業者の場合は、「新規収入」が「カニバリによる減収分」を補ってくれる可能性は乏しく、従って、このような思い切った低価格政策は採りにくくなるのです。

そろそろ本質的な問題を論じましょう。ソフトバンクは、創業者である孫さんの強い意志によって、「業界ナンバーワンを目指す路線」を不退転の決意で突き進みます。その当面の最大の武器は「カニバリによる減収を恐れない低価格路線」です。

これにより、既に十分な収益力を持っている既存事業者の収益は減少せざるを得ないでしょうが、それは「業界を疲弊させる」ところまでには至らないでしょうし、一方、消費者はその恩恵を直接受けます。サービス競争はますます激しくなりますが、ソフトバンクを含む各自業者は、この為の創意工夫を徹底して行いますから、ここでも消費者は恩恵を受け、関連事業者にも飛躍の機会が与えられます。ソフトバンクが仕掛けている競争は、この意味で明らかに「良い競争」だといえます。

「第3位の事業者は淘汰されていく運命にある」というテーゼは、この事業者が困難な競争に打ち勝っていく「意志」と「能力」を欠いている場合にのみ成り立つテーゼです。第3位の事業者に「強い意志と能力」があった場合は、「競争によってもたらされるカニバリ効果」によって、「ユーザーの平均コストの低減」と「各事業者間の格差の平準化」が同時に起こっていって然るべきです。

この後に来るのは何か? それは「サービスの高度化」とそれによる「各事業者の収入の増加」でしょう。いや、これは、実際には、「その後」ではなく、「同時に」に起こっていくことになるでしょう。これこそが本当の意味での「良い競争」だと、私は思っています。

サービス競争は、アイデアの競争であると同時に、ネットワークとプラットフォームの地力の競争でもあります。ソフトバンクはこの競争においても勝っていけるのか? これはソフトバンクの今後を見守っていただくしかありません。しかし、ソフトバンクがそのことを十分に意識していることは、少なくともご理解いただけたと思います。この業界はこれからますます面白くなっていきます。競争はますます激化していくでしょうが、それはあらゆる面で間違いなく「良い競争」であると思います。

先々回のブログで、私は現在日本で進んでいる4G議論に触れ、ドコモさんなどが当面提唱しておられる方向(即ち、4Gを現在のLTEの発展型と位置づけ、100MHz程度までの広帯域を使うことを前提に、更に飛躍的なピークデータレートの向上を狙う方向)に、やんわりと疑念を表明しました。今回は、このことについて、もう少し突っ込んだ議論をしてみたいと思います。

勿論、この時点では、このような全く新しい発想に基づく考えは、私の個人的な考えであるに過ぎず、私が現在勤務しているソフトバンクがこのような提案をする用意があるということではありませんので、その点については誤解のないようにお願いいたします。しかし、もともとこのブログを始めるにあたっては、私はソフトバンクモバイルの現役の取締役副社長という立場を極力離れ、日本の情報通信の将来を考える(憂う)一個人の立場に立つことを心がけようと考えたわけであり、その意味では、こういう議論こそ、このブログにふさわしいものではないかとも考えている次第です。

そもそも、当初携帯端末を対象とする無線通信というものが考えられた時には、家やオフィスから携帯端末を使って電話したり、Mailを送受信したりするということは考えられておりませんでした。あくまで有線コネクションのない辺鄙なところとか、走っている車の中で使うことが目的だったわけです。ところが、携帯電話の普及率が次第に上がって、端末の使い勝手がよくなってくると、ユーザーはすぐ側にもっと安く使える固定電話機があっても、それを使わずに、少し高くつく携帯電話機を使うようになりました。現実に、日本では、携帯電話による通話の実に40%程度が家で使われているという調査結果が出ています。携帯電話機を使えば、その中に入っている電話帳や通話履歴がそのまま使えるし、呼び出す相手の番号も、携帯電話のものにした方が、一度で相手をつかまえられる可能性が高いからです。これによって、ユーザーはいわば相当な無駄遣いをしているわけですが、無駄遣いといっても、電話程度ならたいした金額にはならず、それによって得られる便利さの方が価値があると考えられているのでしょう。

しかし、これが大量のデータ通信ということになればどうでしょうか? 「4Gの時代になれば、現在ADSLや光ケーブルでつながれたパソコンでインターネットを利用している人は、いつでも、どこでも、携帯端末で同じことが出来るようになる」というようなことを言う人達がいますが、勿論そのような言い方は正しくはありません。「携帯端末は、やがてパソコンと同じ感覚で使われるようになる」ということは大いにあり得ますが、それは、将来の携帯端末が、当然のこととしてWiFiを内蔵し、「有線ブロードバンドのアクセスポイントに近いところでは優先的にそれを利用する」一方、「ふんだんにある内部メモリーに、常時ブロードキャストされてくるデータクリップの中から、必要なものを自動的にキャッシングする機能を内蔵するようになるだろう」からであり、別に4Gのおかげというわけではありません。

こんなことを言うと、携帯電話事業者の将来はあまり明るくないのではないかと危惧する人達もいるかもしれませんが、そんなことはありません。私は、「携帯通信事業者が過度に防衛的になり、ユーザーの為になる代替手段を忌避するというような過ちを犯さない限りは」という条件付ではありますが、「携帯通信事業者の価値は永久に不滅である」と確信している一人です。それは、「いつでも、どこでも、どんな状況下でも、最適の通信リンクを確保するということの価値が、何者にも代えがたいものである」と私が考えている故です。だからこそ私は、4Gの目標として、「ピークデータレートを上げる」ことのみを考えるのは誤りであり、「いつでも、どこでも」という最も本質的な要求に応えることこそを最大の目標とし、その中で、「個々のユーザーの為に、出来るだけ大きなデータスループットを実現する」ことを考えるべきだと申し上げている次第です。

というのも、私は、これだけ世界的に発展している現在の携帯通信も、未だに「安定した通信リンクの確保」という最も基本的な要請に対して、必ずしも満足できる対応が出来ていないと思っているからです。電波状況にうまく対応出来なかったり、回線が一時的に輻輳したりすることによって生じる「通話の切断」は、なおも頻繁に起こっており、ユーザーの信頼を損ねていますし、建物が密集し、地下街から高層階まで人間の活動が縦方向に広がっていく大都市部では、なお「電波の届かない場所」が数多く残っています。そして、このような場所をしらみつぶしになくしていこうとすると、通信事業者には膨大なコストがかかり、このようなコストは、結局はユーザーに転嫁せざるを得なくなるのです。

更に、私が最近痛切に感じるようになったのは、現在の3Gシステムは、基本的には広々としたところを動き回っている車をイメージして最適化されており、日本の大都市にこれを対応させようとすると、解決せねばならない問題がまだたくさん残っているということです。例えば、我々が「Ogikubo Phenomena」という名のもとに、世界のシステムベンダーに認知してもらいたいと考えている問題がありますが、それはこういうことです。

「ラッシュアワーに荻窪の駅のプラットフォームで通勤電車を待っている人」をイメージしてみてください。そして、あらゆる方向から数分間隔で次々にホームに入ってくる電車、通過する電車をイメージしてみてください。その電車の中には、何百人、何千人という人たちがひしめいており、そのほぼ全員が携帯電話機を持っています。そして、この携帯電話機は、別に使うつもりもないのに、次々にこのエリアをカバーする基地局に位置登録をしてくるのです。こんな情景は日本の大都市に住んだことのある人でなければ、とても想像することは出来ないでしょう。しかし、現実にこのような状況がある為に、我々のRNC(基地局をまとめて制御している中枢設備)は、ラッシュアワーにはあアッという間にパンクしてしまいそうになりますし、単純なRNCの増設でこの問題を解決しようとすれば、お金はいくらあっても足らないということになってしまいます。

このような極端な例は、当面は日本でしか見られないのかもしれませんが、遠からず、ニューヨークやロンドンといった欧米の大都市や、ソウル、上海、香港といったアジアの大都市でも、問題になってくるでしょう。日本では電車の中での通話は厳禁とされていますが、殆どの他の国では、「こういう時間こそ携帯電話を効率的に利用すべき」という考えの方が強いので、場合によれば、問題はもっと深刻になるかもしれません。また、日本でも、データのダウンロードまでは禁止されていませんから、みんなが満員電車の中で映像などをどんどんダウンロードすることにでもなると、現在とはまた異なった問題を生じることになるかもしれません。

話がちょっと片寄った方向に行ってしまいましたので、本質的な問題に戻しましょう。私が強調したいのは、携帯通信に関連して今我々が直面している最も重要な問題は、「更なるデータの高速化」よりも、むしろ「安定した通信リンクの確保」であり、これには、抜本的に新しい技術的アプローチが必要とされるであろうということです。もし「3Gの長期的エボリューション」を意味するLTEや、その先を考える4Gが、この問題に正面から向き合わなかったら、この問題を抜本的に解決し、標準化していく場は、他のどこに求めればよいのでしょうか?

ずばり核心に触れる議論をしましょう。私が提唱したいのは、CDMAの導入以来拡大のみを考えてきた「チャンネルあたりの利用周波数の幅」を、むしろ分割し、昔の様に隣接するセルの周波数を変えることによって、セル間の干渉を避けるやり方です。但し、ハネコム(蜂の巣)状に緻密な置局設計をする必要のあった昔のシステムとは異なり、もっと多くの分割された周波数を使い、且つ、各基地局が状況に従って、自律的に自らが使用する周波数を選べるようにするようにします。(こうすれば、置局自体は何も考えずに自由にやってもよいことになり、ユーザーによる置局も可能となるでしょう。)また、端末側にもこれに対応したデバイスを組み込んで、「これまでの様に受動的にではなく、各端末が能動的に自らの使用周波数をその都度決め、電波状況が大きく変わるまでは、多少の変動は無視してこの周波数を継続的に使う」というやり方を考えたいと思います。

それでは、ここでもう一度、これまでの携帯通信の歴史を振り返ってみましょう。CDMAは、元来が音声通信を念頭においた技術であり、「基地局と端末との間の遠近関係に関係なく、常に一定の電力が使われる電力制御」を実現した画期的なシステムでした。しかし、データ通信の重要性が認識されるに従って、抜本的な変革がもたらされました。これが3GPP2 のEVDO であり、3GPP のHSPAです。データに特化され、それ故「ベストエフォートの思想」に徹したこれらのシステムでは、常に目一杯のパワーが使われ、セルの中心部とセルエッジでの「受信効率の大きな格差」を許容しました。セルエッジにいる不幸なユーザーのためには、緻密なスケジューリングやビームフォーミングの技術を駆使した救済策がとられました。

EVDO やHSPAにおいては、下り線のモジュレーションにはCDMAではなくTDMが使われていますが、それは「その方が伝送効率がよい」という単純な理由のためです。この後に来るLTEは、20MHz程度の広帯域を使うことを前提に、無数のパイロットを立てるOFDM方式を使い、MIMOを駆使してより高いデータ伝送効率を求めていますが、思想的な新規性からいえば、R99 とHSPAの違い(1x とEVDOの違い)程の飛躍はありません。

一方、携帯通信市場の飛躍的な発展がもたらそうとしているもう一つの技術の流れは、「小セル化」ではないでしょうか? 大都市部で通信需要が拡大すると、限られた周波数を繰り返し利用するために、セルの小型化は避けられませんし、現実に、新宿など過密地域では、基地局はもうこれ以上増やす余地がないほどに密集してしまっています。ここで、限られた周波数あたりの処理可能ビット数を拡大し、併せて、何よりも困難な基地局の立地問題を解決するために、「究極のピコセル」ともいえる「フェムトセル」への期待も高まってきたのは、当然の帰結ともいえるでしょう。

しかし、少しでも3Gの経験を積んだ人なら誰でも知っているように、セルの小型化、特に大きいセルの中に小さいセルを新設するというやり方は、無数のセルエッジ(セルとセルとの境界線)を作ることを意味し、3G(特にHSPA)の難敵である「セルエッジ問題」を、至るところで発生させてしまうことにつながります。従って、「フェムトセルの魅力」が本当に実現するためには、上記で述べたような抜本的な革新技術の内の少なくとも幾つかが、まず開発されている必要があると言えます。

実は、世の中には、「ソフトバンクには何やら秘密兵器があるらしく、フェムトセルがソフトバンクの将来のネットワーク戦略の要になるのではないか」という憶測が広まっています。私も、実を言うとこの憶測の被害者の一人で、何人かの人達から「ソフトバンクにはどんな秘密兵器があるの?」ときかれて困ったことがあります。しかし、もっと大きな被害者はドコモさんの技術陣ではないでしょうか? ドコモさんの技術陣は、当然のことながら、経営トップに対し「フェムトセルの将来の可能性と現在の問題点」を正確にインプットしておられる筈ですが、これに対して経営トップから「本当に何か見落しはないのか? ソフトバンクに本当に秘密兵器はないのか?」と問い詰められているかもしれません。

かつてKDDIがEVDOを発表した時には、ドコモさんは意表を突かれた筈です。当時クアルコムにいた私は、ドコモさんの技術の中枢におられた方に、当時はHDRと呼ばれていたEVDOの説明をさせて頂いたことがありますが、この方は私の話を瞬時に理解し、「成る程、我々が4Gとして考えていたことと殆ど同じですね。もう出来ちゃってたんですか」と、がっかりしたように言われていたのが、昨日のことのように思い出されます。KDDIは、このEVDO (WIN)の威力で、一足先にデータサービスにフラットレートを導入し、これを梃子に、データ通信では圧倒的な強さを誇っていたドコモの牙城を脅かす存在へとのし上がっていきました。ですから、ドコモさんには、時を経てこの悪夢がまた甦ってきたとしても、おかしくはないわけです。

こういう質問に対し、私としては、「エヘヘヘ、秘密、秘密」と言って逃げる手もないではないのですが、技術の世界では嘘やごまかしは通用しませんし、また技術者の仲間内では、いくら競争相手であってもそんなことはするべきではありません。ですから、私は、今日この場を借りて、「ソフトバンクにはそんな秘密兵器はありません」と、明確に申し上げたいと思います。それでは、何故世の中に「フェムトセルがソフトバンクの将来のネットワーク戦略の要になりそうだ」というような憶測が流れているかについては、上記でお話したような「将来システムへのビジョン」が、変形して伝わったものと理解していただくのがよいでしょう。ちょっと無理な説明かもしれませんが、そうでないと、「ソフトバンクは3Gの本質を理解していないのではないか」と、誤解されてもいけませんので...。

最後にもう一言。小セル化の技術については、かつてのNTTやウィルコムの貢献についても、ここで言及しないわけにはいきません。特にウィルコムについては、もともと小セルのシステムを前提に、難しい2GHzを使い、過密な日本の都市部でサービスを続けてこられたわけですから、ビームフォーミング(ヌルフォーミング)などの分野で相当の技術の蓄積があり、注目すべき成果も出しておられるものと思います。ウィルコムの技術陣がそのことに誇りと自信を持っておられることには、私としても何等違和感をもつものではありません。WiMAXの免許に関する議論が沸騰していたときには、私自身も「ウィルコムは2.5GHzではなく2GHzを使ったほうがよい」と強く主張したので、一部のPHSファンの方々は「ソフトバンクはウィルコムを目の敵にしている」と誤解されたかもしれませんが、別にそんなことはありません。

しかし、気になることは、このような技術論議が、ITU(3GPP)やIEEE(802.20)の場では、何等なされていないということです。そこにどんなよい技術が含まれていても、それが日本の国内標準であるに止まってしまっていては、世界市場への進出は難しく、これを手がける機器メーカーさんも、規模のメリットを享受できないので、結局コストが高止まりしてしまうと思います。先に「日本の技術の国際競争力」についての私のブログでも少し触れましたように、私としては、先ずは何事によらず、世界市場を念頭においた開発戦略を前提とすることの必要性を常に意識しているわけですから、これは当然の懸念であるとご理解頂きたいと思います。それが日本のお家芸であるような技術であればある程、私にはこの思いが強くなります。

日本は長い間、移動体通信の技術力では世界をリードしていると思ってきたようですが、携帯端末の世界市場の占有率では、大きく遅れをとっていることが既にはっきりしました。ご承知の様に、現状では、フィンランドのノキアが断トツで、サムスン、モトローラ、ソニー・エリクソン、LGの4強がこれに続きます。この後はがたんと落ちて、中国のZTE(中興)が第6位、三洋を吸収した京セラが第7位、日本では断トツになったシャープも、老舗のパナソニックやNECも、台数の競争だけで言うなら、何社かの中国メーカーと競い合ってこの下に位置している状態です。

 さすがに日本政府もカッとして、日本の携帯通信業界の特異なビジネスモデルがその原因ではないかと考え、これを改める様にやんわりと通信事業者にプレッシャーをかけたりもしましたが、私の見るところ、原因はもっと単純であるように思えます。 要するに、日本メーカー同様、或いはそれ以上にハンディキャップを持っていた筈の韓国メーカー(サムスンとLG)が、WCDMAとGSMの市場でもそれなりに健闘しているのに、日本メーカーは一社として持ちこたえられず、ほうほうの態で世界市場から撤退してきたという事実については、「経営方針(経営体制)」と「能力(特にマーケティング)」の差以外に、説明のしようがないということです。

 もっとも、日本の端末メーカーに同情すべきところもあります。日本では、通信事業者が詳細なスペックまでを決め、問答無用でそれに従うように求めるところがあるからです。この中には、日本のユーザーの特異な要求に対処する為にどうしても必要なものもあるでしょうが、精査していくと、-通信事業者の担当技術者の単なる思い込みに過ぎない要求もあるようです。世界の大勢に従っておけば、規模のメリットが働いて安く上がるのに、それでは自分達の存在意義がないとばかりに、わざわざ異なった要求を出して、「これが差別化だ」と一人で悦に入っているようなケースもないとはいえません。

 こうなると、日本メーカーは常に国内と海外の二正面作戦を強いられ、利益率のよい日本向けが優先されるので、海外向けは二の次になってしまいます。これでは、初めから海外市場で勝つことを先ず考え、国内市場はその支えとして利用するだけと考える韓国メーカーに、勝てるわけはありません。

 しかし、よく考えて見ると、このようなことが起こっているのは、日本の通信事業者が自らの首を絞めているに等しいことです。これから事業者間の競争が激しくなれば、各事業者は、自らのコスト水準を下げる為に、自律的にこういうことは正していくと思いますから、別に国が関与するべき問題ではないと思います。

 ところで、国がやろうとしていることの一つに、「SIMロックの解除」ということがあります。欧州などのGSM市場では、以前から「通信サービスを端末から切り離す仕組み」が前提になってきました。ユーザーは好きな端末を好きなところで買う一方、これを機能させるためのSIMカードというものを、別途自分の好きな通信事業者から買って、端末の中に差し込むという仕組みです。

 このやり方には、国境を越えて別の国に行っても、その国の通信事業者のSIMカードを自分の携帯端末に差し込めば、そのまま使えるというメリットがあります。また、逆に、TPOで時折携帯端末を好みのものにかえても、同じSIMカードを差し込むだけで、いつもの様に電話やメールができるというメリットもあります。しかし、日本では殆どのユーザーはそんなことはしていません。

 現在は、各事業者は国際ローミング協定というものを結んでいますから、別にSIMカードを変えなくても、同じ端末が世界のどこでも使えます。今日の服に合わせて携帯電話を変えるなどと言うことは、一見おしゃれに思えますが、携帯電話の中に入っている通話履歴や、過去のメール等が見えないということになると、大抵のユーザーはパニックになってしまうでしょう。つまり、GSMの世界では常識だったGSMカードの差し替えということ自体は、今やあまり意味のないことになっているということです。

 それでは、何故、総務省は「SIMロックの開放」、即ち、「どんな端末にも、どんな事業者のSIMカードでも差せる」ということを実現したいのでしょうか? 恐らく、そうすれば日本の端末メーカーもノキア並になれるのではないかという思惑があったからではないでしょうか? しかし、これには大きな問題があります。

 そもそもSIMカードのコンセプトは、携帯端末が電話とMail、それからせいぜいBrowser程度をサポートする時代に考えられたものですが、現在は、携帯端末が文字通りユーザーの分身となり、「いつでも、どこでも、ユーザーの為にいろいろな仕事をこなし、あらゆる便宜をはかるもの」へと進化しつつある時代です。異ったメーカーが提供する多種多様な端末が、種々の異った業者が提供する多種多様なサービスをサポート出来るようにする為には、大きく、且つ複雑なエコシステムが存在せねばならず、これをマネージすることができるのは、日本では、とりあえず、ドコモやau、ソフトバンクといったモバイルキャリアしかいないように思えてならないのです。

 欧州では、通信キャリアーがSIMカードを売るだけの気楽なビジネスで毎日を過ごしているうちに、ノキアのような端末ベンダーがこのようなエコシステムをサポート出来るまでに育ちましたが、日本では、今から流れを変えるのは、現実問題として不可能ではないでしょうか。

 一方、もし仮に、日本でSIMカードのアンロックが強制的になされた場合は、各通信事業者は、現在巨額の資金を投じて行っている端末の企画とマーケティング活動を、大幅に減速させざるを得なくなるでしょうから、結果として、ユーザーの便宜は、少なくとも一時的には相当大きく損なわれてしまう可能性もあります。また、現在まがりなりにも機能しているエコシステムにも、至るところで亀裂が生じて、或る程度の混乱は避けられないでしょう。

 結果として、携帯端末の進化は少なくとも一時的には減速し、端末メーカー間の競争は、現在のパソコンメーカー間の競争に近いものになるでしょう。これが長期的に見てユーザーにとってよいことかどうかは、軽々には論評しかねますが、少なくとも、これによって日本メーカーの競争力が増大するようにはあまり思えません。そう考えると、国が音頭を取ってまでSIMカードのアンロックを推進することの意味についても、根本的な疑問が生じてくることは避けられません。

 もう一つ、国がやろうとしていることに、国際標準化活動でのリーダーシップの強化があると思います。日中韓三国が手を握って、欧米勢に対抗しようという動きも、この流れの上にあるものでしょう。これも、期待していた3G(第三世代移動体通信システム)が、フタをあけて見ると、米国のクアルコムにいいところを押さえられてしまっていて、ドコモなどの努力が日本メーカーの競争力強化にはあまりつながらなかったことへの、反省から出ている議論だと思いますが、どうも本質をついた議論の様には思えません。

 日本は、かつて、自国生まれのPDCという技術でGSMに対抗しようとして、一敗地にまみれ、これが長期間にわたる日本メーカーの世界市場での停滞の原因となりましたが、GSMの場合は、モトローラ、エリクソン、ノキアなどの欧米のメーカーが、初めから日本メーカーを仮想敵と考えて、強力なパテントプールを作ったという経緯があります。従って、GSM市場では、日本メーカーは、少なくとも欧米メーカーに対しては、ハンディキャップゲームを強いられたといえます。

 しかし、3G(CDMA)の場合は、世界中のメーカーが、自らは最終製品を作らないクアルコムに、等しくロイヤリティーを支払っているわけですから、少なくとも、「これによって競争劣位がもたらされた」とは言えません。にもかかわらず、何かと言うと、日本メーカーの競争力のなさの原因として、このことが引き合いに出されるのは、少し理解に苦しむところではあります。

 国際標準化のリーダーシップをとることを目標に、人材の育成などに努力しようというのは、勿論よいことです。しかし、それ以前にやることが山程あるように思えます。先ず何よりも大切なのは、全ての研究開発を、最初から「世界市場に売れるものを作ること」を目標にして行うことです。言い換えれば、自分達が日本の会社であること、自分が日本人であることは、取り敢えず忘れることです。国を愛していればいるほど、この意識から出発することがどうしても必要であることを、先ずは知るべきです。

 「先ず、日本で技術を確立し、それを、国の力も借りて世界市場に売って行こう」などと考えているようでは、成功は覚束きません。標準化の過程では、多数派工作は欠かせませんが、先ずは「有無を言わせぬ技術」を持つことこそが先決であり、これがある限りは、「世界のどこにでも、自分達のパートナーとなりたい会社はある筈だ」という自信を持って、広くパートナーを世界に求めるべきです。技術の世界は地政学とは関係ありません。ビジョンと利害が一致する相手を求めるのに、特に地域にこだわる必要はないと思います。 ところで、これまでに「日の丸プロジェクト」と銘打ったプロジェクトを、私はたくさん見てきていますが、残念ながら、およそ成功例を見たことがありません。「親方日の丸」と言う言葉があるように、「日の丸」という言葉は、どうもビジネスを成功させるためには、禁句であるような気さえします。要するに、「国に頼ろうとするような姿勢では、世界に通じる技術はつくれるわけもなく、また、大義名分をふりかざして、実効性(費用対効果)を無視するようなやり方では、世界に市場を拡大出来るわけはない」ということだと思います。

 「国」を「大会社」と言い換えても、このことは当てはまると思います。現在LTEなどに関連して注目を集めているOFDMという技術は、もともとベル研にいた新進気鋭の技術者集団がスピンオフして作ったFlarionという会社(2年前にクアルコムが買収)が、最も先進的な開発をしてきた経緯があり、この為、基本的なIPRの多くも、現在でも彼等が保有しているものと思われるのですが、この集団は、もうずっと以前に、わざわざ居心地のよいベル研から飛び出して、ベンチャーとしての茨の道を歩むことを決めたのです。このようなことが日本で起こることはちょっと考えにくく、私には、日本の国際的技術競争力を考える場合には、むしろこのような事実にこそ目を向けるべきではないかと、思えてならないのです。

 ここまで行くと、日本の社会のあり方とか、教育のあり方まで議論せざるを得なくなり、際限もないので、もう一度現実的な施策に議論を戻すと、私が、先ず声を大にして言いたいのは、「日本の市場を出来るだけ世界市場と均質化すること」の必要性です。

 これが実現できれば、日本のメーカーは、二正面作戦を強いられることもなく、ホームでの試合をアウェイでの試合と同じルールで戦って、経験を積み重ねることが出来ます。「そんなことを言ったって、ユーザーの求めるものが違うことは、変えようがないではないか」と言あれる方々も当然おられるでしょうが、それなら、「せめて、日本の市場を、わざわざ世界市場と異なったものにするようなことは、しないで欲しい」と言い換えます。これなら、ずばり国の施策に関することだからです。

 要するに、やるべきことは、徹底的な市場開放です。市場の開放は、外国から言われてしぶしぶやるものではありません。自らの世界市場での競争力を高めるために、自らが進んでやるべきことです。徹底的に解放された自国マーケットで、徹底的に外国メーカーと戦って勝ちを収めていけば、世界市場での成功への道は、半分は開けたといってよいでしょう。国がこの道をふさいでしまうことがないように祈る次第です。

先のブログで、3Gとか4Gとか言う言葉の定義が曖昧だというような話をさせていただきましたが、最近、これを少しだけはっきりさせるような進展がありましたので、ご報告します。

日本では、例によって世界に先駆けて、3.5GHz帯を使った4Gについての議論が盛り上がり始めており、これを議論する為の日中韓の官民の関係者の集まりも、最近東京で持たれました。

私も一応キーノートスピーカーの一人として参加したものの、技術問題についてはあまりアイデアがないので、例によって、「ユーザーの視点からものを考えるべき」といった話でお茶を濁すしかありませんでしたが、ドコモさんは、例によって、相当先進的な話を具体的にしておられました。

その後のワークショップなどの報告を聞いていると、どうも、4Gを「LTE-Advanced」、即ち、「LTEの発展系」と位置づけ、「LTEとの後方互換性を確保しつつ、数MHzの狭帯域から100MHzの広帯域までをサポートし、LTE以上のピークレートと周波数効率を実現すること」をターゲットとする方向で、議論が進んでいるようです。

先のブログでも書きましたように、LTE自体は、その名の示すとおり、「3Gの長期発展型(Long Term Evolution)」と位置づけられ、3GPPのRelease 8 として標準化されようとしているものですから、明らかに「3.9G」です。しかし、「3.9G イコール LTE」 かと言われれば、必ずしもそうではありません。

「3.9G」のカテゴリーにはいるものとしては、「10MHz程度の帯域幅なら、データスループットはLTEとほぼ同等」というシュミレーション結果が出ている「HSPA+ (Release 7 )」もありますし、これを Multi-carrier 化したものを 、Relase 8 の追加、または Relase 9 として標準化しようかという動きもあります。

国連の下部機構であるITU-Rでは、4Gに対応する技術には「IMT-Advanced」という名前がつけられていますが、日本では、前述の通り、これを「LTE advanced」と呼び替える動きがあり、これは少し気になるところです。

日本では、伝統的に、NTT(或いはNTTドコモ)の提案が全ての議論をリードする傾向があり、それ故に、早い時点から選択肢の幅を狭めてしまう傾向がありますが、「世界の動きと日本の動きがほぼ均等に見えている」とひそかに自負している私の目から見ると、このような動きは、やはり少し気になるのです。

(私は、一昨年まで米国のクアルコムに10年近く勤め、今でも技術者達とはビジネスを離れた親交がありますし、現在はGSMAのボードメンバーや戦略コミッティーメンバーを勤めていますから、自然と米国や欧州の観点からものを考える癖がついており、嫌でも「日本の特異性が」目に付いて、気になってしまうのです。)

さて、LTEですが、LTEにもWiMAX同様の問題点が常に付き纏っています。それはセルエッジの問題とQoSの問題です。一般に、ピークデータレートや平均データスループットを考えると、このようなOFDM系のテクノロジーには、MIMOとの親和性を筆頭に、多くのメリットがあるのですが、「全ての面で優れている」という訳にはなかなかいかず、実際の市場性から考えると、問題が結構山積しているのが実情だと思います。

セルエッジの問題は、そのまま、「ビル内への浸透度」の問題にもつながります。QoSの問題は、そのまま、「VoIPへの対応」の問題につながります。期待される将来の高速通信網が、ビル内でパソコンを使っている人達をサポートできなかったり、VoIP電話をサポートできなったりするわけにはいきませんから、今後のLTEの検討は、むしろこのあたりを眼目にして進めるべきだと思います。

一方、「3.9G」についても最近重要な進展がありました。既に新聞紙上でも報じられているように、総務省は、これまで携帯3社が2G(PDC)用に使っていた1.5 GHz帯の今後の利用方法につき、3.9Gを対象に検討する方向を示唆しています。

総務省の念頭にあるのは、先ずはLTEであり、「Super3G」と呼ばれているドコモバージョンのLTEについての検討(干渉問題など)が先ずは議論の対象になると思いますが、その流れの中で、当然「別の3.9G技術」、即ち、「HSPA+」や「その延長線上にあるシステム」も当然議論されるものと理解しています。

我々が、現時点で、同じ3.9Gであっても、むしろ「HSPA+」の方により多くの興味を持っている理由は、既存システムとの後方互換性があることと、LTEに比して技術が枯れており、より早く安定したサービスを立ち上げることが可能であろうと思われるからです。

私の会社、ソフトバンクモバイルは、800MHzの「黄金周波数(Golden Spectrum)」を持っているドコモさんやKDDIさんと異なり、現在PDCで運用している1.5GHzを一旦返還してしまうと、2GHzしか持っていないことになってしまうので、「周波数の逼迫」が競合他社に比して一層厳しいという事情があります。また、自ら「世界有数の技術会社会社」という別の顔を持っているドコモさんと異なり、世界の殆どの通信事業会社と同様、技術開発については基本的に世界中の機器メーカーに頼る立場です。

この立場から考えると、「先ずは「HSPA」、又は「HSPA+」からはじめ、時機を見て、もし必要があれば、これをLTEにアップグレードしていく」というのが、唯一の現実的な方策であると考えられます。幸いにして、種々のシステムベンダーにあたったところ、殆どのところが、HSPAとLTEをソフトウェアの切り替えだけで使い分けられるように機器の設計を行っていることがわかり、大いに安心しているところです。

私の会社の中にも、「総務省は世界に先駆けて『日の丸LTE』を推進したいと考えており、その方向に各通信事業者の足並みをそろえさせたいのではないか?」と危惧する人たちもいるのですが、私は、「そんなことはあり得ない。通信事業者の使命は、何よりも、ユーザーに『高度で安定したサービスを安価に供給』することであり、その為に自らがベストと信じる技術を採用せねばならないし、総務省がそれを妨げることはあり得ない。また、日本を世界の孤児にしてしまったPDCの失敗は、総務省としても二度と繰り返したくはないはず」と、社内では言い切っていますし、この点については、全く心配はしていません。

最後に、「KDDIは3.9Gについてどうするであろうか」というのが、多くの人達の興味だと思いますが、勿論、これは、私などがあれこれ推測すべきことではありません。一部の報道では、3GPP2の3.9G標準であるUMBではなく、3GPP標準のLTEを採用するのではないかといわれていますが、それならそれで、頷けることです。

米国のVerizonが早々とLTEを採用すると発表したのですから、KDDIさんとしても、「UMBを採用すると世界の孤児になってしまうかもしれない」と危惧されたのでしょう。いずれにしても、端末チップはデュアルモード、トリプルモードが主流になるでしょうし、バックボーンネットワークは、先のブログでもご紹介したように、基本的に全てが同じようなものになるでしょうから、どちらに転んでも、あまり大きな違いはないと思います。

 

他社に先駆けて自社の基幹ネットワークを新時代に即するものに変え、よりよいサービスをユーザーに提供していこうとしているNTTの努力は、高く評価されるべきですし、これにイチャモンをつける気は全くありません。しかしながら、ここに隠されているかもしれない「罠」にも、我々としては警戒を怠らないわけにはいかないのも、また悲しい現実なのです。

何故かといえば、既に何人かの方が指摘しているように、「NTTはNGNを口実にして、再びかつての巨大独占体制の復活を目論んでいるのではないか」という疑念が、どうしても消えないのからです。勿論、NTT側の言い分にもそれなりの理はあります。ユーザーにとっては、サービスはシームレスであってほしいでしょうし、1社と契約すれば、全てに責任を持って貰えるのがよいでしょう。有線サービスか無線サービスかで分けられたり、地域によって分けられたりするのは迷惑です。しかし、それは、あくまで、「契約する以前に多様な選択肢があること」を前提としての話です。

かつては、世界中で、通信事業はほぼ独占、ないしは寡占でした。しかしながら、「競争のないところでは、ユーザーのコストは高止まりし、技術革新も、サービスの向上も起こらない」というのは常識ですから、世界中で通信事業に競争環境を導入するための施策がとられ、巨大な通信事業者は分割されたり、非対称規制をかけられたりしました。この流れの中で、NTTも分割されました。

ここで重要なことは、日本では、NTT自身は最後まで「分割」に反対し、「一応の分割」はなされたものの、「持ち株会社」というものが新たに作られ、これを中心に、実質的な「グループ一体経営」が、厳然として存続しているということです。旧NTTの経営陣は、もともと、「分割はプラスよりマイナスの方が多い」と考え、そのように主張してきたのですから、そのDNAを受け継ぐ現在のNTTグループ各社の経営陣も、恐らく同じ考えではなかろうかと推測されます。もしそうであるなら、今後とも、事あるごとに「NTT再統合」への方策が練られ、いろいろな口実でこの実現がはかられることになるでしょう。NGNがその口実の一つになる可能性も、十分ありうると考えなければなりません。

NTTの最大の問題は労働問題です。「NTTグループの徹底的な合理化によって得られる経済効果」というものは、なかなか算出が難しいのに対し、「雇用の確保」は単純明快な数字の話だからです。政治家の先生方にとっては、NTTは巨大な集票マシンでもあり、地方の有力者との関係においても、無視できぬ存在です。「